新しいカルチャーは門前市から伝わる――お寺でマーケットを開くわけ

cropped-otera021

会場の経王山文殊院 圓融寺は、今から約1160年前、平安時代の仁寿3年(853)、慈覚大師による創建と伝えられる天台宗の古刹だ。目黒区碑文谷の住宅地にあり、由緒ある建物や手入れの行き届いた境内の庭木が醸し出す落ち着いた雰囲気は、地域の人たちから親しまれている。朝のラジオ体操には多くの人たちが集まるし、日中は散歩や買い物途中に参拝する姿をよく見かける。大晦日になると、除夜の鐘をつく人たちで賑わい、新しい年の始まりを祝うことは碑文谷の風物詩となっている。

寛永年間には江戸近郊で屈指の名刹として知られ、千葉県佐倉市の国立歴史民族博物館に収蔵されている江戸図屏風にも描かれている。国の重要文化財に指定されている「釈迦堂」は東京23区内最古の木造建築で、室町時代の建造だ。

そして梅並木の参道から向かうと出迎える仁王門の「黒漆塗りの仁王像」は永禄2年(1559)の作で、ライトアップされる夜の姿は迫力がある。江戸時代には霊験あらたかな「碑文谷の黒仁王」として江戸庶民の篤い信仰を集めていた。特に天明年間末から寛政年間には、黒仁王尊信仰が大流行した。門前には茶店が立ち並び、大変な賑わいだったという。境内では多くの人々が仁王尊にお線香を供えたり、背負わなければならないほどの大きな草鞋を奉納したりしていた。

 スケッチ/丸山欣也

圓融寺に限らず、かつてお寺は街の中心だった。参拝客相手の商売で栄えた門前町は各地に多いし、社寺門前のほか街道の宿場や河川の合流点などでは定期市が開かれ、そこでは周辺の農家などが野菜や工芸品を持ち寄り商いしていた。なかでも11世紀ごろ、京都府八幡市の石清水八幡宮で始まったものは、もっとも古い定期市の一つとして知られている。そして各地に地名としてある二日市や十日町は開催日が町名として残っているものだ。

この定期市や門前の賑わいは、マーケットの原型だ。人びとが行き来するなかで情報が伝達され、各地の文化を広めることにもつながった。新しい農機具や生活用品も定期市で世間に広まっていった。それは品物を販売するだけでなく、生産者とお客が直接話をするなかで、情報が伝わっていくマーケットの魅力と同じだ。

歴史的に見ても、お寺という宗教の場は公共性があり、精神的な豊かさや安心を求めるソーシャルアクションには向いている。そして今再び、900年の時空を超えて「碑文谷の黒仁王」のたもとでAOZORAという市が立ち、人と人がつながろうというのだから面白い。

(安藤啓一)

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

aozora

投稿者プロフィール

農・食・音の地域フェアトレードマーケット
あなたにも出来る!AOZORA活動!

この著者の最新の記事

関連記事

AOZORAマガジン

  1. IMG_2916
    1995年のデビュー以来、常に第一線で活躍しているロックシンガーの相川七瀬さん。近年、重要無形文化財…
  2. 140
    映画『100年ごはん』上映会+トークイベント╱4月26日(日)11時~14時、圓融寺客殿にて …
ページ上部へ戻る